雲:向雲太郎
誠:遠田誠
T:高樹光一郎(インタビュア/公演プロデューサー)
T:雲太郎さん、『ウイルス』公演おつかれさまでした。これが終わると、いよいよまことクラウ゛の『蜜室』稽古が本格的になりますね。今回、まことクラウ゛が公演をするにあたって、今までとは違うまことクラウ゛を見てみたい、例えば客演を招くことで新しい化学反応が起きるのでは、という話をして、遠田さんから、雲太郎さんの名前があがりました。僕は、96年に伊藤キムさんの作品で、遠田さん、雲太郎さんと一緒にバニョレ(国際振付賞ガラ公演/仏)に行った時から、いつかそんな企画が出来たらと思っていたので、今回色々な偶然が重なって出演して頂けることがとても嬉しいんです。二人の出会いの最初は、僕も知らないのですが、いつなんですか?
:もともとは、あれですよ。忘れもしない、伊藤キムワークショップ、第1回目。キムさんがドイツから戻ってきたばっかりで、はじめにキムさんが、「今日は僕が日本でやる、最初のワークショップです」と言って始まった。それが94年。
T:なぜキムさんのワークショップに出ようと?
:キムさんが出演している『カミニクノイズ博覧会 SHOW』(アサヒアートスクエア)や、ミゼール花岡との『綺女と珍獣』(FMホール)を見て、変な人いるなーと。その時すでに大駱駝艦にいたんですが、踊りが面白くなっているところで、いろんな人のワークショップに行ってた。ほかのワークショップでも誠に会ったけど、キムさんのところで初めて会ったんだよね?
:えー、忘れもしないと言ってるんですが、僕、初回にはいなかったんです。
:あ、そっか?(笑)
:僕ね、多分3回目からだよ。
:(笑)じゃ、忘れもしないキムさんの第1回ワークショップの3回目だ。
:ワークショップに行ったら、雲太郎とか鎌倉(道彦/現:コンドルズ)とかいたんですよ。初めて行った回で、キムさんがワークショップの終わりに「カンパニーを作って公演しようと思う」と話し出した。「人選は自分がするけど、この中でもし出たいという人がいれば、ぜひ申し出て欲しい」と。でも初めて来たし、様子を見よっかな、と思って名乗り出したりしなかった。そしたら、その日のうちにキムさんから電話がかかってきて「どうする?やる?」って。そこまで言われたら、その時期に「やりません」という選択はないので、「やります」と。雲太郎の最初の印象は、和栗さん(好善社)のワークショップに行ったとき。雲太郎と鎌倉がセットでいて、「うわ、ここにもいるんだ」って。
:俺の誠への印象は、『生きたまま(※)』の稽古ぐらいかな。(※伊藤キム振付「生きたまま死んでいるヒトは死んだまま生きているのか?/95年初演」)
:雲太郎は、旗揚げ公演の『蝿の王』にはでてないもんね。キムさんの最初の作品は、まだワークショップの人たちの寄せ集め感があった。その後に、『生きたまま』の初演。
:『生きたまま』はキムさんに「男だけでやろうと思う」と言われたんです。
:そう。『生きたまま』で4回共演した。池袋(芸術劇場/95年)、横浜(ランドマークホール/バニョレ国際振付賞・ジャパンプラットフォーム/96年)、バニョレ(国際振付賞ガラ公演/96年)、ハンブルグ(96年)。
:でも、誠とすごく親密になったのは、あれです、フランスで部屋がずっと一緒だったんですよ。しかも部屋にダブルベッド1つで(笑)。朝起きたら誠の顔が横にある、みたいな。たった1回の公演のために、パリに2週間もいた。最初の方はただフラフラしてたもんね。たまに稽古に行って。
:雲太郎は「俺は遊びに来たんやない」とか言って、自由時間もホテルにこもってた。僕は結構写真とか撮りに行きまくってたけど。でもその時、その部屋で話したんですよ。「何年かしたら、キムさんと関係なく、なんか二人でするでしょう」って。それは覚えてる?
:へー、俺は覚えてない(笑)。たぶん俺は酔っぱらってたんだな。
T:それでツアーから帰ってきて、雲太郎さんは大駱駝艦があるからと辞めて、遠田さんはしばらく「輝く未来」にいて、後に「まことクラウ゛」を立ち上げる。その後もお互いを意識する事はあったんですか?:いつも意識の片隅にはありましたね。
:俺もチラシ見て「がんばってんなー」と思ってた。
T:雲太郎さんがよく「誠には負けへんでー」と言っていたのを覚えてるんですよ。
:よく言われてましたね。キムさんの合宿で山道走ったりした時も、雲太郎はちょっと僕の前を走ろうとする。
:(笑)そうだったかもしれない。誠は、伊藤キムの番頭みたいになってて、俺はその頃すでに大駱駝艦にもいたから、あまり本腰入れてキムさんと関わるみたいなことができなくて。誠はどんどん信頼されて、ダンスマスターみたいだったな。
T:それで「負けへんでー」。
:そんなこと言ってたかもな。
:俺は、競争するのやだからさ。
:(笑)そういうタイプだよね。駱駝艦はすごい競争集団だから。
T:その後はあまり接点がないまま時間が経ち、今回の公演にあたり、遠田さんが雲太郎さんにお手紙を書いたんですよね?お手紙というのがまた古風でいい。届いた時はどうでしたか?
:「速達」だし「遠田誠」って書いてあるし、なにごとだー?って。実は、その手紙のちょうど3日前に、麿さんに「(大駱駝艦から)独立したいんです」と話していた。直後だったから、びっくりした。公演の日付を見たら8月だし、何にもないし俺!と思って、やったーーー誠ありがとーーー!!!って。(万歳ポーズ)
T:すごい偶然だよね。
:これはメールじゃないなと思って、手紙で返事をした。速達で。なんか運命を感じたね。
:偶然の必然というか。こっちが雲太郎のことを思った、その3日前に雲太郎が独立の話をしていた、という風に、ことが起きる気運が重なった。
T:まことクラウ゛の稽古、始まってみてどうですか?
:新鮮ですよね。ほんとに新鮮で面白い。
:雲太郎に入ってもらって驚いたのは、「景色が見える」ことなんです。まことクラウ゛メンバーで勢いのある群舞シーンを作っているところに、雲太郎が手ぶらでぷらっと稽古場に現れる。そして、群舞の中に一人入ってもらうんです。いわゆる踊りというよりは、異物として立つ。すると、彼がエリアに立った瞬間に、それがどういう状況かという景色がスカッと見えてくる。例えば、僕が“森林の監視員”というイメージを与えて動いてもらうと、急に、山あいの木立から青空がすかっと抜けるような情景が見えてくる。すごいなーと思う。若いダンサーでは絶対にできないぞと。実は、それが見えるまでは、雲太郎にお願いして本当に大丈夫かなー、と内心思っていたんですよ(笑)。これが見えた瞬間、おー!と、俺は間違ってなかったと。
T:今回、そういう雲太郎さんを、まことクラウ゛に加える意図は?
:今まで、まことクラウ゛では「異化作用」ということを考えて作ってきました。たとえば、2010年の愛知トリエンナーレでは、梱包会社の荷さばき場で、従業員さんの中にまことクラウ゛のダンサーを混入させる、ということをやりました。そうすると、梱包作業を淡々と手際よく行う従業員=「見せるつもりがない人」と、まことクラウ゛=「見せるつもりがある人」が反応し合って、見せるつもりじゃない所作がダンサブルに見えてくる。
:おもしろいなあ。(メモを取り始める)
:毎日やっている作業、段ボールをぱぱっと組み立てて、婦人服を入れるという所作は、自分の身体に落ちているから、とても美しい。そういうのもひっくるめて、自分は「ダンス」だと思っている。今回は、特異な場所ではなく劇場で行うので、ではどうするか、と考えた時に、「ダンスをダンスで隠す」、舞踏とか、色んな種類の踊りがあって、質の違うものを対峙させることを考えています。僕は、ダンスを幼少のみぎりからやっている訳ではないので、どこかダンスに対して外様意識があるんです。どっぷりとダンサブル、という風にはならないし、ダンサブルなものだけがダンスではない、というのを見せていきたい。これ以上はネタバレになりますが、それぞれのダンスがもつ時間感覚の違い、というのも重要なポイントです。
T:例えば、雲太郎さんとのデュオもあったり、遠田くんもかなり踊るとか?
:そうですね。これまでのまことクラウ゛では、僕が司会をやったりして「異化作用」を担ってきた部分がある。でも今回は、雲太郎という異物を迎えて、デュオもやるし・・・
T:ソロも・・・?
:ソロはやるべきだと思うな〜。
T:雲太郎さんは、今までコンテンポラリーダンスの作品に出たことは?
:ないです。
T:今回、新しい雲太郎さんが見てみたい、という期待もあります。
:そうですね。誠がさっき舞踏と言っていたけれど、自分には舞踏というよりも「大駱駝艦スタイル」みたいなものが染み付いていると思う。スタイルといっても、昨日と今日で同じことをやってもだめ。麿さんは常に「お前、本当にそれでいいのか?」と言っていた。そういえば、このあいだ、誠が稽古でダメ出ししているのを聞いてたら、キムさんと同じ事を言ってたなー。
T:いい作品になりそうですか?
:すべく日々がんばっております。
:俺もここから本格的に関わって、色々言いたいなと思う。作品に関わる部分と、自分を預ける部分と。劇的な化学変化が起こせるといいなあと思います。
T:ありがとうございました。

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